G-Media 現場にフォーカス

こんなことやってます!報道番組部

密着・市川染五郎 KABUKI in Las Vegas
  ~新しい歌舞伎に挑んだ“染五郎”に密着取材!~

米・ラスベガスに上陸した日本の伝統芸能「歌舞伎」。歌舞伎界の若きエース、7代目市川染五郎さんが、これまでにない型破りの大舞台に挑みました。
“最新のデジタル技術”、そして“高さ200mも吹き上げる巨大な噴水”とコラボレーションする前代未聞の演出を携え、どんな歌舞伎を作り上げるのか。歌舞伎役者・市川染五郎さんの真価が問われた現場に密着、舞台裏に迫る番組を作りました。

一筋縄ではいかない 多忙な歌舞伎役の取材

コスモメディアの中継車内

市川染五郎さん

 今回、苦労したことは何か。そのひとつが、染五郎さん本人への取材が容易でなかった点があげられます。著名人への取材は、そういうもの。とはいえ、驚いたのは、彼のスケジュールでした。年間400回近く舞台に立つ染五郎さん。(※1日複数回公演のときもあります)我々が取材に入った時は、新作の歌舞伎などの舞台(彼の提案で1から作り上げる舞台)を3作品も抱えていました。稽古や本番の舞台を掛け持ちする日々。例えば、10時から16時まで本番の舞台→17時から20時まで稽古→21時から打ち合わせ・・・という具合です。しかも合間に、我々以外の報道番組、雑誌の連載、番宣のバラエティ番組などの取材も数多く受けていました。いったい、染五郎さんは、いつお休みになっているのだろう・・・。そんな素朴な疑問を抱くと共に、驚異的な体力でお仕事に邁進される姿に、プロフェッショナルを感じていました。

 そんな状況にあっても、なんとか情報を得なければ、番組制作は進みません。お話させていただく時間も取れない中で、手紙を書いたり、メールを出したりして、もちろん、彼の著作物は全て拝読させていただいたうえで、少しずつ取材を進めました。しかしながら、なかなか染五郎さんの演出意図やモチベーションの核心の部分に迫れない。時間は刻一刻と過ぎていきます。とにかく1回1回の稽古をつぶさに見つめて、何か変化を見つけられないか、必死でした。撮影クルー(カメラマン・音声マン)と一緒に相談しながら、暗中模索の取材がしばらく続きました。

 それでも、普段は決して見ることのできない、歌舞伎舞台の稽古や制作会議の場。今回は特別に、染五郎さんや松竹さんはじめ、数多くの制作スタッフのみなさんのご配慮により、本当に「1」からカメラを入れ、ずっとお付き合いさせていただくことができました。本来、集中したいときや部外秘の打ち合わせは、取材者がいると”邪魔”になるため、なかなか入れません。そういった現場もオープンにしてくださったおかげで「歌舞伎を制作する」という仕事を追体験させていただくことが出来ました。こうして信頼されることが、番組制作にとっては、欠かせないことの一つなのかもしれないと感じていました。

やっぱりプロは、集中力が違う!?

©Shochiku

染五郎さんが、文字通りに「ラスベガスの舞台だけ」に専念して取り組めるようになったのは、本番のわずか4日前。アメリカ・ラスベガスに到着してからでした。その前日まで別の舞台で主演を務めていたためです。日本では大まかな動きを固めて、確認してきましたが、素人である私たち取材クルーは「これで本当に大丈夫なのだろうか?」と内心ハラハラしていました。ご本人も、日本での最後の稽古後に「正直、時間がもっとあればうれしい」とこぼしていたように、現地に乗り込んだ4日前の時点で、「舞台全体の2割程度」(振り付け担当の菊之丞さん談)しか形になっていませんでした。

 しかし、そこからの追い込みがすごかった。ラスベガス空港に着いた染五郎さんは、その足で舞台に向かい、演出を一通りチェック。修正ミーティングまで行いました。この時点で現地時間23時。当然、初日だし終わりだろうな、と思っていたら、今度は舞台に上がって場当たりチェック。我々だけでなく、松竹の皆さんも含め、驚きました。結局、稽古が終わったのは、夜中の2時。日本を出発してから40時間以上が経過していました。このペースで、連日稽古は夜中の2時、3時まで。そこから染五郎さんは、演出を改善するため日が昇るまで打ち合わせを重ねていました。当然、本人の体力もさることながら、松竹の裏方さん達も、連日睡眠時間が2時間前後と文字通り命を削って働いていらっしゃいました。それだけ舞台制作にのめり込み、次々と踊りや殺陣を体現し、日に日に舞台ができあがっていく様子は圧巻でした。やはり、歌舞伎役者さんは、本気を出したらすごい。もちろん、それを記録しようとしていた我々も日に日に疲労の色が濃くなり・・・夕飯は、いつもコンビニかマック。お店が空いている時間には稽古が終わらないのです(苦笑)。ラスベガスに行ったのに、ラスベガスらしいことなど、何一つできない、と言うか、したいという気分にすらならない海外出張でした。 

 それでも、こうした貴重な機会に立ち会えたことを幸運に感じ、この仕事の醍醐味を噛みしめる番組制作でした。